「狂気」。それは世界的規模で蔓延する。

グローバル化以前、この手の狂気は国内もしくは特定の域内(特定の広域文化圏内)でかんでいたことではある。
・「魔女狩り」(宗教裁判)しかり
・「禁酒法」しかり
赤狩りが世界的であったとうにかんじがちだが、やはり「西側」という特定域を出る物ではなかったのである。
グローバル化が進むとその「狂気」が他人事ではすまされなくなる実例。
まさに魔女狩り的な一種のカルト宗教化している。

児ポ」といい「捕鯨」といい「鮪」といい、この件といいグローバル化しすぎるのもこの手の「狂気」が蔓延して余り歓迎すべきものでも褒められたものではない。考え物である。


とは申せ、煙草の分煙化には大歓迎だし、緩やかに淘汰されていくならば煙草は無くなるべきではあると思う。
要はやり方の問題。
急いては事をし損じるとか、急がば回れともいう。
長期間で拡がったものは長期スパンで考えることだろうとおもう。
現行喫煙者のみの「喫煙完全登録許可制」にするとか時間と手間は掛かるがやり方はある。
気を悪くされる方も多いかも知れないが、日本統治下の台湾での阿片撲滅の記録を見るべきだと私は思う。先人の知恵で有益な物は是非とも拝借すべきだろう。

■飲食業界困った、「全面禁煙」厚労省が通知へ
(読売新聞 - 02月21日 15:18)

==全文引用==
飲食業界困った、「全面禁煙」厚労省が通知へ

 学校や病院、飲食店やホテルなど、多数の人が利用する場所は原則、全面禁煙に――。

 そんな内容の通知を、厚生労働省が近く全国の自治体に出す。努力目標とはいえ、分煙ではなく全面禁煙にかじを切る内容だけに、客足に響く飲食業界などの反発は必至だ。欧米に比べて遅れが指摘される日本の受動喫煙対策の前進につながるのか。

 「禁煙への取り組みだけでなく、禁煙論議が深まることを期待したい」。厚労省幹部は、今回の同省健康局長通知の狙いをそう話す。

 他人のたばこの煙を吸う受動喫煙が、健康に悪いことは科学的に明らかだ。そこで2003年施行の健康増進法受動喫煙防止を掲げたが、同省はその際、業界への配慮から、全面禁煙が有効だとしながらも、分煙についても認めた。

 だが、世界の潮流は先を行く。世界保健機関(WHO)のたばこ規制枠組み条約が05年に発効し、07年採択の指針は「100%禁煙以外の措置は不完全」とした。分煙では受動喫煙を完全には防げないとして、欧州諸国で禁煙化が加速した。

 この流れを受け、厚労省も08年、検討会を設置。「原則全面禁煙であるべきだ」との報告書が昨年3月にまとまった。昨年からは、労働者保護の観点から、労働安全衛生法改正で事業主に受動喫煙防止策を義務付けられないかの論議も進む。

 健康増進法の施行以降、日本でも公共施設や乗り物での禁煙・分煙は進んだ。しかし、男性の喫煙率が36・8%(08年)と依然高い中、居酒屋や宿泊施設などでの対策は簡単ではない。これについて今回の通知は、営業に甚大な影響が出る恐れがあれば、暫定的に分煙も認めているが、将来的には全面禁煙を求めている。

 大手居酒屋チェーン「ワタミ」では05年に首都圏などで全面禁煙の店を4店オープンしたが、約1年で撤退した。女性客を中心に好評だったが、宴会の予約が減り、喫煙者の多い深夜帯の客から敬遠されたという。

 ホテルやデパートなどでは禁煙室や禁煙フロアを設けて分煙を図るところも多いが、今回の通知は原則的に全館禁煙化を求めている。大手ホテルチェーンの担当者は「愛煙家のホテル利用も多い。客のニーズを考えると、全館禁煙が必要とは思えない」。大手百貨店の担当者も「たばこを吸う人も吸わない人も大切な客。吸う人を追い出すわけにはいかない」と困惑する。

 タクシー業界には歓迎する声もある。他の地域に比べ禁煙タクシーが少ない大阪タクシー協会の担当者は「禁煙化で客離れを警戒する声はあるが、7割の運転手は『一斉に禁煙化するなら賛成』。通知で禁煙が加速すれば取り組みやすい」。

 全国ハイヤー・タクシー連合会によると、昨年11月時点で37都府県のタクシーが全面禁煙。「売り上げ減の懸念もあったが、客にもドライバーにも禁煙が受け入れられつつある」という。

 国立がんセンター研究所の望月友美子・たばこ政策研究プロジェクトリーダーによると、欧米では、多数の人が利用する場所での禁煙を法律に明記するケースが目立ち、英国ではパブなどの飲食店でも全面禁煙化が進む。日本の現状については「受動喫煙による健康被害の認識が甘かったことが背景にある」と指摘する。

 月刊「禁煙ジャーナル」の渡辺文学編集長は「飲食店を全面禁煙とした海外で、たばこの煙を敬遠していた客が来て、来店者が増えたケースもある。吸いにくい環境作りは、やめたくてもやめられない喫煙者を救うことにもつながる」と話す。(社会部 本田克樹、中村隆)
(2010年2月21日15時18分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100221-OYT1T00509.htm

「行列が出来る店」は本当に「美味い」のか?

さっきの話。
日テレを見ていると「行列が出来る店だからやっぱり美味い」という表現を使っていた。
確かに「長い行列」を作ることが大多数の指示であるならば一つのバロメーターには違いない。
では果たして「味=行列」なのだろうか。

兎角、日本人は何事につけ「行列」が好きな国民性を持つという。
それは旧ソ連邦時代や、崩壊間もない露西亜のような商品不足から来る「死活問題」からではなく、概ね個人の意志による「選択」の問題である。
選択すなわち「期待」であり、極論すると行列の長さは大衆の「期待値」に比例すると考えられる。ラーメン屋の行列しかり、win95や有名タイトルのゲームしかり、MG「Xガンダム」しかりである。コミックマーケットの深夜よりの行列なども即売会という「お祭り」に対する期待からくる行列の代表的例の一つといえるだろう。

でもここで冷静になって考えて貰いたい。
「行列」はあくまで「期待値」である。
そして「期待」とはすなわちその人の持つ「欲望」である。
欲望を満たさんがためにその先の「現象」に期待をかける行為が「行列」であると仮定してみる。つまり、行列の先にの「現象」がその人の期待に対して100%答えられるのならばそれは
「行列=満足を得られるもの」と成りうるのである。
しかし、実際そうでない場合も多い。
先の例を取ると「ラーメン屋の味」である。
「確かにそれなりに美味いけどこれが並んで食べるほどの味なの?」と疑問に感じたなんてことが結構あるのではないだろうか。

これはその人の中での期待値が「極大まで肥大化」してしまったため発生した現象だと考えられる。行列の出来る店だからきっと美味しいであろうという前提条件で出向く場合屡々起こりうる現象だ。すなわち期待のかけすぎである。
では何者が彼に必要以上の期待を与えたのであろう。

答えは「情報」である。
情報が拡散するとき、その段階で少なからず尾ひれが付く。
たとえば最初に「美味しい」と感じた人が次の人に伝える場合、感想の中に「好感」という付加価値が付く。それを信じたひとがまた同じように「好感」を抱いたならばその段階で更に情報は肥大化する。それを繰り返しが行列という具体的な現象として顕れ行列の構成員は肥大化した情報をもって行列に参加することになる。そしてその大多数は行列に「参加したこと」が「味への満足感」だと錯覚して帰って行くために「行列バブル」が崩壊するまでは『ぷよぷよ』のように「幸福の連鎖」が続くことになる。
さて、厄介なのは情報は「捏造」が可能だという点である。
意図的に情報を流して期待値を上げさせて、行列バブルを引き起こさせることが日常的に屡々に執り行われている。個人レベルの捏造であれば問題はない。それをメディアという情報の怪物に載せた場合どうなるのかということである。
得てして大衆は「情報」に飢えている。
情報は氾濫しているではないかといわれるかも知れないが、それは情報が氾濫しているからこそ価値がある情報に飢えているのだ。それを「価値がある情報」に「偽装」してとして流したらどうなるだろう。
情報に幻惑された行列というものも屡々発生する。所謂「広告効果」である。そう言った場合の殆どは「行列」そのものが幻想であり期待値に答えられなのである。
つまり「行列」はあくまで目安であり、それが期待に答えうるものであるかどうかは個々人の主観に委ねられる。
それこそが「行列の本質」であり、むしろ情報を吟味する目を持ち本質を見極めなければずっと彼は瞞され続けることになる。
つまりは行列の出来る店が必ずしも美味いとは限らないと考えた方が良いというのが私なりの結論である。

喧嘩両成敗。(ネット・言論・表現・情報等の統制に拍車が掛かるかも

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1003076&media_id=32

==全文引用==
岡田克也外相と記者による質疑応答をねつ造した文章が掲示板サイト「2ちゃんねる」(2ch)に掲載されているとして、岡田外相の事務所は10月27日、 2ch管理者に対し、プロバイダ責任制限法に基づき、該当する内容の削除と投稿した人物の特定を要求したことを明らかにした。要求に応じない場合、別の法的措置を検討するとしている。

 岡田外相の事務所がWebサイトで公表した文書(PDF)によると、問題の書き込みは岡田外相と記者との間で23日夜に行われたというオフレコの質疑応答をテープ起こしした報道機関の内部メモ、という体裁。岡田外相が国会開会式での天皇陛下の「お言葉」見直しを求めたことについて記者が岡田外相の“真意”をただし、岡田外相が「皇室の将来より民意ですよ」「民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」などと答えたことになっている。

 岡田外相側はこれに対し「発言内容なもとより、そもそもこのような懇談が行われていないにもかかわらず、あたかも質疑応答があったかのようなねつ造記事が書き込まれた」として、岡田外相の名誉と政治家としての社会的地位を著しく傷つけたとしている。

==引用了==
毎度の2chであるが所謂「壮大な釣り」だったわけだ。やり過ぎだったかも知れないが、それでも本来公人はこの程度で目くじらを立てるべきではないと思ったりもする。今回の場合、ネラーの自業自得、言われる側も自業自得といえなくもないわけで、強権を持って対処するのは筋違いだろう。

2chと件の某氏がどうなろうと知ったことではないが、コレを前例にして中国並みのネット規制――いや統制か――に繋がるでは本末転倒である様に思えて成らないのは考えすぎだろうか。

ネラー諸君には自重して欲しいし、某氏ももっと冷静且つ慎重に事を運ぶ必要があると愚考する。

緊急雇用対策と環境対策税。

菅直人副総理兼国家戦略局担当大臣と長妻厚労大臣のあいだで緊急雇用対策の必要性が検討されたそうだ。
内容はというと、継続して雇用を確保した企業に出す補助金の基準緩和と、求職者の社会福祉事業(具体的に言うと介護事業)への誘導が二本柱らしい。後者のために職業訓練枠の拡大強化を実施するという。
聞こえは良いが間違いなく付け焼き刃である。何故なら彼らが、そもそも介護関連ビジネスに何故人手不足かを検討したことがあるのかに疑問を持たれるからだ。

重労働、低賃金、時間超過これらが一般の会社員に比べて著しいといわれている。
重労働な上に労働に対する賃金が低く、尚かつプライベートな時間が取りにくい。
過酷な条件下に置かれた場合、仮に理想が高くても定着率が低いのは当然である。
しかも、これまでの方針通りであれば、仮に賃金を上げようとするならばユーザーに増えた分の負担を強いることになる。しかもそうならないようにするためには企業努力として必要最低限以下の人員で需要をまかなわねば成らず、さらにはそれでは設備投資や人員確保はおろか、労働者への賃金の上乗せすら出来ないでいる。
そんな状態のところへ何の抜本的な見直しも無しに求人人口を誘導したなら何が起こるかは、火を見るよりも明らかである。

また、人には向き不向きという物もあって、私のように人に触れることを極端に拒絶するタイプ(無論、特定の女性と交際した場合は別の話だが)の人間の場合は絶対に不向きだ。
結局のところ実情を知らぬ者の描く机上の空論、絵に描いた餅の類だとしかいいようがない。

環境対策税に関しても同様で、税を徴収したところで群がる温暖化利権に吸い取られるのがオチだろう。

どうしてこうも日本の政治家は現実を見ずに当ての外れたことばかりやり続けるのだろう。

祖父にあたる人の話など云々。

私の父方の祖父に当たる人は、どうやらジャーナリストだったらしい。
らしい、というのは私が生まれるずっと以前に他界していたためあったことがないからである。
その人はどうやら特高からひどい目にあわされた人……であるらしいということまでは分かっている。

かつてこの日本には、治安警察法治安維持法という法律があった。
かつて、この国には新聞条例という法律があった。

私は、その人のことは詳しくは知らないが、かつてあった法律が悪法であったことは知っている。
いま、この国には幸いそれらの法律はないが、下手をすると前の日記で揚げた法律郡がかつての言論統制と同じ酔うな働きをすることは想像に難くない。

私はその人の意志を継ぐような人間ではないけれど、でも、今のこの国のとりあえずしゃべっても、文章を書いても、絵を描いても罰せられることのない空気は大好きだ。

もしこのことが「退廃」だというならば私は、むしろこの退廃を愛する。
ある種の秩序が支配する健全で清浄なる理想郷など糞くらえだ!

この希有なる自由、退廃した世界こそ、むしろ次の世界が引き継ぐために残さねばならない遺産にちがいないのだから……。

ならばまずは……

http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/20091002


ならばまずは「満18歳未満の『児童』」に関しては一切の外出禁止、一切の情報閲覧の禁止を謳った法律が必要でしょうに。
その上で幼稚園入学年齢(概ね4歳児)以上18歳未満の全「児童」を施設に隔離して一括管理する。
児童を大人の目に触れ刺さない。(親も含めて)
児童には「外」に関する情報を与えない。(有害無害問わず)
その上で洗脳なりなんなりすればよいわけです

恐らく、現状ではそれの方が簡単な筈でしょうから。

本当の戦いは……

劇場で。
……っていう巫山戯た最終回の仮面ライダーディケイドに朝から全てを持って行かれた8/31だったが、総選挙は有った。
台風にもディケイドにも負け無いのな。
もっとも我々の期待と自公政権ディケイドによらずとも破壊されたけど。

まず保坂、早川両議員落選は確実に事態悪化。
民主を勝たせすぎた上にコレはきつい。
落選させると意気込んでた割には小宮山当選。野田、高市比例復活当選。
結局森山の出馬断念と自民葉梨及び公明代表太田落選以外収穫がなかったし。
これが負け戦といわずしてなんという。

結果的に民主党の大勝で終わったがそれは民主党に対する期待の表れでも「民意の総意」でもない。
自公政権に対する嫌気(もっと簡単に言うと公明党に対する嫌悪感)からダムが決壊した……もしくは引き潮の後の大津波の如く一気に票が大逆流しただけ。民主党の一人勝ちは他に受け皿がなかったから遊水池の如く底に流れたに過ぎない。国民は耐用年数の超過した老朽船にも戦時規格でそもそも耐久力の無い急増船にも誰も期待をかけていない。
単なる「妥協」に過ぎないのだ。

民主党もそのあたりを真摯にそして冷静に受け取るべきだろう。まあ気付かないだろうけど。だから政党は自己の欲望にのみ邁進する。

結局、戦後(特に55年体制以降)まともな政党政治が育たなかったツケを払わされるのは国民自身だって気が付いてもすでに遅いんだろうけれど。